こんにちは、ちばっしーです。
今日は「偽善の何がいけないのか?」というテーマで、
お話したいと思います。
偽善の何がいけないのか?
子供の頃、小学校の低学年ぐらいの頃ですが、
「偽善」の意味が分かりませんでした。
「偽善って何?」
「別に、心からの善でなくても良いのでは?」
「少なくとも、悪よりは良いのでは?」
その後、そんな疑問を持ったことはすっかり忘れていて、
大人になってから、
「そういえば昔、こんな疑問を持ったことがあったな・・・」
と、思い出しました。
今日はいくつかの、
たとえ話をしてみたいと思います。
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救急車のたとえ話
ある日のことでした。
Aさんが散歩をしていたら、
近所の小さい子供が道端で転びました。
膝を擦りむいて泣いている。
「よし、救急車を呼んであげよう」
幸い軽い怪我だったので、
子供はすぐに元気に走り回ることが出来ました。
病院に駆け付けたご家族も、大変感謝している様子です。
「俺はなんて良いことをしたんだろう」
「このような活動を、もっと広めていきたい」
・・・しかしその時、
本当に救急車が必要だった人が、
救急車を呼ぶことが出来ずに、静かに命を落としていました。
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正義のヒーローのたとえ話
あるところに「正義のヒーロー」がいました。
このヒーローは、
応援してくれるみんなの想いを背負って、
みんなの代表として、
世の「不条理」や「不正」「巨悪」と戦います。
苦しむ人達を守るために、
危険を顧みず、
一人でも、自らを犠牲にしてでも戦います。
みんなのために!
世界の平和を守るために!
・・・表向きは、そういうことになっていました。
しかし実際には、このヒーローは世の不条理は華麗にスルーし、
苦しむ人の所に行っては、独りよがりの正義を振りかざしていました。
強い立場の者にはへいこらし、
苦しむ人達に対しては露骨に見下し、叱責し搾取し、
少しでも意にそぐわないことがあれば「攻撃」していました。
その正体は「差別を助長する組織」の手先だったのです。
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目が不自由な人のたとえ話
昔、あるところに、
目が不自由なBさんと、支援者のCさんがいました。
ある日この二人は、人生観の違いから口論になりました。
Bさんは言いました。
「私はこう思う」
「あなたがやっていることは間違っているのではないか?」
普段威張っていたCさんは怒り狂い、
Bさんに足を掛けました。
「お前の態度が気に食わない」
「俺は目が見えるんだ。悔しいか? ざまあみろ!」
「お前も目が見えるようになってから文句を言えよ!」
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まとめ
というわけで、
「偽善の何がいけないのか?」というテーマでお話しました。
今日は、なんとも悲しい話で、すみませんでした。
これらの「たとえ話」が、
何を意味するのか全然わからないという方も、
思い当たる節があり、ハッとした方も、
いたのではないでしょうか。
もちろん、支援者が悪でも、当事者が善でもありません。
逆のケースもあります。
僕もネットを見ていると、
同じ当事者の目線からでも、
「それは違うんじゃない?」と、
言いたくなるようなことは結構あります。
だけど、それは言わないことにしています。
その人が置かれた辛い状況もあるだろうし、
人の自由は絶対縛りたくないので。
しかし例外的に「責任ある立場の人」に限っては、
厳しくモラルを追求される覚悟を持って活動していると信じます。
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