フェアじゃない世界を共に見つめること

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共に見つめるのサムネメンタル

世界は「フェアじゃない」に満ちている

フェアじゃないことって沢山ありますよね。

残念だけど、世界は「フェアじゃない」に満ちている。

戦争も差別も搾取もある。
詐欺もあれば、いじめや虐待もある。

もし、全てのフェアじゃないことがフェアになったら、
それは、世界が平和になったということです。

世界平和が実現する日。


ずっと未来のことかもしれませんね。
私が生きている間には、そんな日は来ないかもしれません。

だけど少しでも、フェアな世界に近づいてほしいと願っています。

フェアじゃないことにも種類がある

ところで、フェアじゃないことにも種類があると思います。
大雑把に分類すると、以下のようなことです。

わかりやすいことと、わかりにくいこと

わかりやすいことと、わかりにくいこと。

つまり、見ればすぐに、
ああ、この人はこんなハンデを抱えているのか、
大変だなと、わかりやすいもの。

一方、本人は大変だけど、
外見からでは全くわからないものがあります。

救済措置があることと、ないこと

救済措置があることと、ないこと。

そのハンデの内容が既に社会に認知されていて、
何らかの救済措置があることと、
ないことがあります。

また救済措置がないアンフェアは、
逆に、差別や偏見の対象になっている場合もあります。

わかりにくく救済措置もないことの例

わかりにくく救済措置もないことも色々ありますが、
一例として、私もあえて古傷を引っ張り出している毒親問題をあげます。

親ガチャという言葉

最近、親ガチャという言葉が話題になりましたね。

私はネットでこの言葉に関する議論を、
興味深く見ていました。

この言葉の定義は人によって様々で、
軽い気持ちで、軽微な問題を指して使っている人から、
極めて深刻な問題を指している人もいました。


定義自体が違うため、
それぞれイメージしている内容が全く異なるので、
議論がかみ合っていませんでした。

ただ、印象に残った発言もあります。

それは、
「親がガチャなら、国も会社もガチャで、全部ガチャガチャだな」
という言葉でした。

毒親のハンディキャップ

毒親といっても、
軽いものから深刻なケースまで様々ですが、
深刻なケースの場合。

例えば、虐待からメンタル不調になってしまったとか、
親が悪質な盗みを繰り返すなどの場合。

生涯にわたる厳しいハンデになります。

これが普通の人間関係や、国や会社の場合、
そこから離れるという手段があるのに対し、
(実際は、そんな簡単なことではありませんが)
毒親問題の場合、
人生が最初から閉ざされてしまうという点で、
一線を画すものがあります。


そして、いかに厳しいハンデでも、
他者からは全くわかりません。

当事者にしか見えない不条理

毒親問題以外にも、
このような当事者にしか見えない不条理、
わかりにくく救済措置もないアンフェアというのは沢山あります。


それは存在しないのではなく、軽い問題なのでもなく、
私たちが知らないだけで、気づいていないだけです。


もし誰かが、当事者にしか見えない不条理に苦しみ、
苦しみ続けて、ついに追い詰められたとき。

最後は声をあげるしかありません。
「助けて!」と言うしかありません。

そうしなければ、誰も気づいてくれることもありません。

そして、その人が勇気を出して助けを求めたその時 ーーー

その時、あなたはなんて答えますか?

その時、あなたはなんて答えますか?

先ほどの「全部ガチャガチャだな」という答えは、
要するに、助ける気もないし、わかる気もない。

フェアじゃないことはわかるけど、
フェアな世界にする気はない。

開き直って、目をそらしている態度になります。

社会の一員としてどうかと思いますが、
残念ながら、そんなものかもしれません。

自分さえよければどうでもいい。
俺だって大変なんだということで、
冷たいとは思いますが、仕方がないのかもしれません。

ただ、やめてほしいのは、
これだけは本当にやめてほしいと思うのは、
支援者であったり、責任ある立場にもかからず、
このような発言を平気でする人がいるということです。

フェアじゃない世界を共に見つめること

人の大変さなんて見たくもない。
知りたくもない。

それだったら、支援なんかできないはず。
そもそも最初から、支援する気なんかなかったはず。


知ること。
共感すること。

フェアじゃない世界を共に見つめること。
その人が見てきた世界を、その人の目線から、共に見ること。


それが全てのスタートラインになると思います。

その人が抱えている問題を解決するにせよ、
未来を共に考えるにせよ、
社会を変えるべく働きかけるにせよ、
あるいは、単に友達になるということだとしても・・・。

まとめ

体験したことがないタイプの問題を共感するのは、
実際には難しいことだと思います。
同じ体験はできないので。

だけど、私も一応支援者のはしくれなので、
有料サービスを提供しているわけでも、
寄付を受け取っているわけでもないとしても、
一定の責任はあります。

支援者ではないとしても、人としての責任はあります。


当事者は声をあげて、
それを誰かが受け止めなければ、
世界はフェアになりません。

不条理から目をそらすのではなく、
まずは、フェアじゃない世界を共に見つめること。


その人が見てきた世界を、その人の目線から。

共感することの重さを、
再度認識しなければいけないと思いました。

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